アンディ・マレー

【プロフィール】
名前:アンドリュー・バロン・マレー
誕生日:1987年5月15日
国籍:イギリス
出身:スコットランド、ダンブレーン
身長:191cm
体重:82kg
利き手:右
バックハンド:両手
最高ランキング:1位
【生い立ち】
アンディはイギリス女子ナショナルチームのコーチで、2011年にはイギリスフェドカップの監督を務めることになる母ジュディさんと、父ウィリアムさんとの間に産まれました。1つ年上で同じくテニスプレーヤーのジェイミーさんが兄です。
アンディは3歳の時に母ジュディさんに地元のコートへ連れられ、テニスを始めました。5歳の時、試合に初めてエントリーし、8歳の時には大人が出場する地元の大会にも参戦していました。(めっちゃ早い・・・)
アンディはダンブレーン小学校に入学するのですが、8歳の時に凄惨な事件に巻き込まれます。いきなり学校に暴漢が銃を持って乱入し、16人の児童と1人の教師を射殺しました。アンディはそのとき教室の中に隠れて難を逃れたそうです。犯人はその後自らを撃ち自殺しました。アンディは当時を思い出し、「とても幼かったから、その時に何が起こったのか理解するのが難しかった。インタビューで何度も事件のことを聞かれるのがとても嫌だった」と語っています。
また、アンディが10歳の時に両親が離婚しています。アンディは後に「両親の離婚が僕の闘争心に火をつけたんだと思う」と語っています。
アンディは、テニス以外にサッカーでも才能を見せ、15歳の時にはイギリスの名門サッカークラブである『レンジャーズ・フットボールクラブ』からオファーがかかりますが、それを断り、テニスに専念することを決めました。そして、アンディはスペインのバルセロナにテニス留学することを決断し、そこで1年半トレーニングを積むことになりました。
しかし16歳の時には先天性の『2分裂膝蓋骨』という病気が発見され、膝の療養のために半年間休養を余儀なくされます。
類いまれなる才能があり、英才教育を受けてきたエリートという印象があるマレーですが、様々な困難を乗り越えてきたということがわかります。

【ジュニア時代の成績】
オレンジボウル選手権 12歳以下、14歳以下 優勝
全米オープンジュニア シングルス 優勝
【グランドスラムの成績】
全豪オープンシングルス 準優勝
全仏オープンシングルス 準優勝
ウィンブルドン シングルス 優勝(2回)
全米オープン シングルス 優勝(1回)
【オリンピックの成績】
ロンドンオリンピック シングルス 金メダル
リオデジャネイロオリンピック シングルス 金メダル
【テニスに関して】
抜群のフットワークとスタミナ、鍛え上げられたフィジカルを武器にどんな球でも拾い、カウンターに変えていくストローカ―です。特にバックハンドを武器にしていて、クロスへの強打とダウンザラインへのコントロールショットを巧みに使い分けます。また、相手が前に出てきたとしてもパッシングショットやロブがとても上手いので簡単に得点を許しません。
しかし、ややフォアハンドでの展開力に難があり、オープンスタンスを多用しすぎていて、タイミングも遅めである所が課題です。
ネットプレーをする頻度は多くないですが、トッププロの中でも十分に高い技術を持っており、得点力は抜群にあります。
サーブに関しては、210km/hを超えるスピードで打つことができ、決定力は抜群です。調子が良いとサービスエースを連発するような場面も見られます。ただ、ややセカンドサーブに勢いがなくボールも短くなりがちなので、セカンドサーブの精度が上がればよりサービスキープは盤石でしょう。
メンタルに関しては、どんなときもあきらめずにくらいついていく姿勢が素晴らしいです。かなり粘り強く精神的にタフであるので相手にとっては常に油断ができず脅威になるでしょう。
【人物に関して】
母国イギリスの偉大な先輩であるティム・ヘンマン選手は容姿、ふるまい、テニスのプレースタイルも貴公子さながらであったのとは対照的に、アンディは髪がボサボサであり、試合中に一人言を常に呟いていて、嬉しい感情も悔しい感情も怒りの感情も隠さずに表に出し、プレースタイルはがむしゃらで泥臭いです。
でも、それこそがアンディの素晴らしい魅力なのだと思います。特に印象的だったのは、2010年全豪オープン決勝でロジャー・フェデラー選手に負けた後のスピーチで号泣してしまい、言葉に詰まりながら「ロジャーみたいに涙を流すことはできる(※2009年全豪決勝でフェデラーはナダルに負けた後スピーチで号泣した)けど、勝つことはできないよ。」と言ったシーンでした。
また、アンディは慈善活動に熱心で、イギリスマラリア撲滅会議のメンバーを務めていて、チャリティーマッチを行いそれを慈善団体に寄付したり、トーナメントの優勝賞金を寄付したりもしています。
【まとめ】
激しくフットワークを使い、ロングラリーが頻発するプレースタイルのためか、2017年から臀部の怪我に苦しみ、2018年に手術を経てツアー復帰を果たしましたが、完治せず痛みに苦しみ続けました。
2019年の全豪オープンの会見で、これが最後になるかもしれないと事実上の引退宣言をしましたが、もう一度手術することに踏み切りました。今回はかなりの効果があり、痛みを除去することに成功しました。そして夏の北米ハードコートシーズンからダブルスで早くも復帰し、全米オープンのシングルスはスキップしましたが、シングルスの大会にも本格的に出始めるようになりました。
【参考・引用】
ATP公式サイト
wikipedia(日本語版)
wikipedia(英語版)
                        
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