瀬藤祐司

【名前】
瀬藤祐司(せとうゆうじ)
【経歴】
大学卒業後、教員として2年間勤めました。
その後、テニスコーチとして8年間勤めた後にフリーとなり、ラパンブランにおいてテニス部門をスタートさせました。
【資格】
日本プロテニス協会公認プロフェッショナル
アメリカプロテニス協会公認プロフェッショナル
シダス エキスパート認定技術者
中学校教諭1種免許社会
高等学校教諭1種免許地理歴史
高等学校教諭1種免許公民
【エピソード】
小学生の時は全然運動ができなくて嫌いだったのですが、中学生になって、父親もやっていたのでテニス部に入部することにしました。そして実際にテニスをやってみると、とても楽しくて一気にハマっていきました。
そして同時に運動能力が徐々に向上していきました。筋力もついてきて自分に少しずつ自信が持てるようになってきました。
高校でもテニス部に入り、厳しくも温かい指導者の元、テニスに打ち込みました。毎日朝練をして、学校には2面しかコートがなかった(それを男女硬式軟式テニス部がシェア)ので、学校から離れたコートに自転車で1時間かけて移動し、テニスを2時間練習し、また1時間かけて家に帰るという日々でした。休日は朝から晩まで練習していました。引退試合ではとても良い試合ができて、その試合での充実感はいまでもはっきり覚えています。
大学に入っても体育会に所属してガンガンテニスをやるということを決めていたので、当然のようにテニス部に入部しました。
しかし、先輩や同期のレベルはとても高く、フィジカル面も不十分だったせいで、段々と無理が出てくるようになりました。1年生の夏ごろから肩を痛め、お医者さんからは手術を勧められましたが、リハビリと練習量を減らすことで対応するという決断をしました。そして冬頃には良い状態に戻り再び思い切って練習ができるようになりましたが、春になるとまた肩の怪我が再発して、しかも以前よりさらに酷い状態となりました。ラケットをもつ時でさえ痛みが走り、ボールを打った時にはさらに酷い痛みが出るようになりました。その時、僕は家に返ってわんわん泣いて、もうテニスを辞めると言ったことを今でも覚えています。
それから僕は何の連絡も無しに部活に行かなくなりました。本来ならば無断欠席は罰が科せられるはずですが、皆が僕の状態を考えてくれて許してくれたようです。それどころか、同期の仲間や先輩たちは相変わらず僕を遊びに誘い、「もどってこい」という言葉は言いませんでしたが、部活の様子などを教えてくれたり、以前と変わりなく接してくれました。その時の僕は、「皆とは関係を断ちたい」と思っていたので、複雑な心境でしたが・・・・・ありがたいことなのにね。
そのような生活がしばらく続き、ある部員に泣いて止められたのもあって僕は手術を受ける決意をしました。長期離脱することになり、リハビリの日々は長く苦しいものでしたが、トレーニングやコンディショニング、運動について勉強するきっかけになったので価値があったと思っています。
今僕がテニスの仕事をできているのは大学時代の仲間達のおかげなので、本当に感謝しています。
大学卒業後、2年間教員として勤めました。教員としての日々は大変でしたが教えるということが楽しくて、また生徒が成長していくことに喜びを感じていました。
その後テニスコーチに転職しました。本当に沢山の生徒さんにお世話になり、学ばせて頂きました。レッスンをする中で生徒さんの眠っていた才能がどんどん開花することが嬉しかったです。そして、何よりも生徒さんの笑顔を見られることが何よりも幸せなことだと思いました。
また、教師の場合だと生徒を教えられる期間は長くても3年ですが、テニスコーチの場合は長期間に渡って指導できる可能性があるというのも魅力の1つだと思いました。
そして8年間スクールで勤めた後フリーになりました。1人でも多くの方にテニスをより楽しんでいただきたい、より強くなっていただきたい、もっとテニスを普及させたい、テニスを通じてもっと皆さんの笑顔を増やしていきたいという思いで活動しております。
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